結結エッセイ06 海と陸をつないだ挑戦 荒木 汰久治

沖縄に初めて来たのは2002年。当時はハワイと神奈川を行き来する生活でアウトリガーカヌーのレースやサーフィンのコンテストに出場して生計を立てていました。初めて来た沖縄で*サバニのレースに出場し、サバニの性能や歴史、そして沖縄の海の美しさに惹かれました。それが今日、私が沖縄に移住・そして定住に至ったきっかけとなっています。

2003年にハワイの仲間と共にサバニレースに出場したのですが、その中には、ハワイでカヌーを通して海洋文化の継承を展開しているナイノア・トンプソン氏もいました。彼は古代の伝統航海術=スターナビゲーションを再現した「ホクレア号」による航海プロジェクトの中心人物でもあります。トンプソン氏の「サバニで航海してみたらどうだ?」との言葉によって『海人丸(うみんちゅまる)プロジェクト』をスタートさせることとなりました。

*琉球列島の漁業従事者に古くから使われていた漁船の名称


糸満市の伝統サバニ大工・大城清さんのところにお世話になりながら、大海原を渡るためにサバニを安定させる連結部分の構造に試行錯誤を繰り返し、ハワイで習得した技術を使って2隻のサバニを並べ完成させました。この舟を「”海”で”人”を”丸”にする。」という願いを込めて「海人丸」と命名。2004年に全国の仲間を誘って糸満市から出身地の宮崎県まで「スターナビゲーション」の練習を兼ねて航海トレーニングを開始しました。伝統航海術、スターナビゲーションとは、コンパスやGPS(全地球測位システム)などを使わず、星・月・太陽の位置や風の力、潮の流れで航海をする伝統的な航海術です。ホクレア号が航海するレベルまではとても難しいですが、沖縄と九州の間で徐々に航海距離を伸ばしながら、飛行機で上空からの眺めを確かめたり、フェリーで何度も行き来して島影を暗記したり、プラネタリウムに通いながら星が昇る角度を覚えるなど、トレーニングの一環として行っていました。

2005年には糸満市から当時、万博が開かれていた愛知県まで約2,000km、56日間の航海に挑戦し、無事に到着することができました。その時に掲げたスローガンは万博のテーマと同じ「人間と地球の共生」。スターナビゲーションでは現代機器を使いません。『人力』と『自然の力』を極限にまで駆使します。海の上で頼りになるのは「クルー=人間」と、「風や潮流などの天候=自然」のみ。一人一人が自我を出したら争いごとが起きてしまいます。水も食糧も分け合います。風がないとセーリングができないので漕いで進まなければならずとんでもなく苦労します。陸に到着するまでの間、一瞬でも気を緩めたら落水につながりますし、夜の海に落ちたり、航路をはずれ漂流してしまえば命の保障はありません。

現代機器に頼らない航海では人はどんどん自然に近づいて、今の世の中に欠けている“共生”という言葉の本質が見えてきます。人間は一人では生きていけません。人と自然の繋がりの輪の中で生かされていると気付くのです。しかしそれは互いを背負い合う(依存)の関係ではなく、支えあう(共存)の関係です。海に出れば必ず嵐とぶつかります。個々が危険やリスクを理解した上でビジョンを共有し出航しなくてはいけません。なので本物の自然に触れ、目に見えない島まで健康に、安全にたどりつくという強い意志を高めあい、共に生きる=共生することができます。しかし、同時に現代社会で文明を否定するために海を渡るわけではありません。我々の航海を伝える手段としてブログや写真・映像という文明の力が必要不可欠です。自分を始めクルー一人一人は過去の人間になることではなく、現代社会で当たり前に生きること。すなわち地域コミュニティーに属し仕事や家庭環境のバランス良いライフスタイルが求められています。

自由市場主義の流れは強烈です。バブル経済が目覚しく発展した日本で、私は父親の転勤で引越しを繰り返しました。生まれ故郷はほとんど覚えておらず、幼い頃から仲良い友達との辛い別れの連続から親に反抗し、不安定な精神状態で荒れた思春期も経験しました。
しかし、大学入学と同時に海とライフガードに出会い、人生が一変しました。初の海外トレーニングでオーストラリアに行ったとき、水平線の向こう側に島=日本があることを感じました。そして海外遠征で訪れたハワイでアウトリガーカヌーとホクレア号の存在を知り、日本とハワイを9年間行き来することとなったのです。2007年、その集大成としてホクレア号ハワイ—日本航海に参加し、ハワイアンクルーの中に混ざり彼らと家族のように接することで自分が誰なのか?日本人はどこから来たのか?改めて自覚しました。パラオ諸島のヤップ島から出航して12日目、水平線から島=沖縄を見つけたとき全身に衝撃が突き抜けました。文明に頼りすぎて『つながり』が薄れていく今の世の中で、海を渡ることで全てが一つにつながっていく。水平線から島を見つけ出したときの感動をもっと多くの人に伝えたい。そう感じた瞬間に『海人丸で中国に航海する』というアイデアが頭に浮かんだのです。アスリートとしてアウトリガーカヌーという新しいスポーツを伝え、海人丸航海で海洋文化を日本に復興させるという人生のビジョンが見えたのもその時です。まさに「海を渡る行為こそが自分の生きる道」だと思えました。


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