結結エッセイ09 琉球龍宮城伝説 藤木 勇人

以前、先輩から何気に話しを聞いていたら、私の中で新たな物語が湧き上がってきた。
それはタイトルどおり『琉球龍宮城伝説』。その昔、琉球王国こそが実は、龍宮城と呼ばれていたというストーリーだ。

それでは、まずは先輩が私にどんな話をしてくれたのかというと、実は中国語も達者な彼は、仕事で中国の黄河沿い奥地を旅する中、なんと今も沖縄に多く現存する石巌当(魔よけの石)などを見つけてビックリしたという内容だったのだ。そしてさらに、沖縄に中国奥地の文化が意外に残っているという話でもあった。


そこで私は、勝手に想像したのである。あの黄河を船で行き来していた人たちが当時の琉球に最初にやって来たのではないかと・・・それは、琉球王国が中国と大交易を模索していた時代の話。

推察するに、あの黄河を行き来する奥地の民は、海のような大河を渡るうちに航海術に近いものを身に付けていたが、けっして生活は豊かではなかったはずなのだ。ところがある日お国から、琉球まで船で渡ることに成功したら報奨金をやると話しを持ちかけられ、彼らは一攫千金を夢見て黄河を飛び出し、大海原に繰り出していったわけだ。
その当時だから、エンジンなどあるはずもなく、風をよみ、潮の流れをよみ、時には腕力を掛け声と共に櫂(かい)に伝え、果敢に琉球を目指したはずなのだ。きっと多くの命が海の犠牲になったに違いない。しかし遂に、その野望は報われ琉球にたどり着くことに成功したのである。

海原を波を切って進み、島に近づくにつれ濃紺からエメラルドブルーそしてコバルトブルーへと変化していく海の色。黄河育ちで、生まれて一度も河の底など見たこともなかった彼らの前に、高い透明度を誇る海底が見え始める。そこには数々の奇跡の色を放つサンゴ礁があり、それに誘われるように海に潜れば、こんどは宝石なような魚達が極彩色豊かに泳ぎまわっていたはずなである。初めてその様子を見た彼らは、きっと奇跡だと思ったに違いない。
しかし、そんな驚き以上に琉球に上陸をした彼らを待っていたのは、小国琉球王国が友好関係を引き出すための大歓待で、毎日飲めや歌えやの大騒ぎだったはずなのだ。男ならそんな接待を受ければ、また必ずこのパラダイスに来ようと誓って国に戻ったはず。
そして国に戻り、周りにその話しをすれば龍宮城伝説の出来上がりというわけだ。そんなことが切っ掛けで、沖縄はその昔海外との貿易が始まったんじゃないかなぁ。

ちなみにこの物語は、先輩の話し以外は全てフィクションですのであしからず。

藤木勇人

PROFILE

藤木 勇人(ふじき はやと)

うちな~噺家と称して「日本の南の島に住む人々の様子」を伝えるため、芝居とおしゃ
べり(ゆんたく)で笑いを交えながら、沖縄を知らない人にも十分に理解してもらえる舞台公演を、沖縄、東京での一人芝居公演『うちな~妄想見聞録』と『南島妄想見聞録』を中心に各地で行う。
過去には、沖縄のお笑い集団「笑築過激団」、沖縄ポップの先駆け「りんけんバンド」にも所属し、2001年からのNHK「ちゅらさん」シリーズ出演時は沖縄ことば指導も務めた。
他に、テレビ番組・ドラマ・ラジオ・映画・CM等への出演、劇団客演、執筆活動と沖縄県内外で幅広く活躍中。

次回予告

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