結結エッセイ05 沖縄観光とエンターテイメント 照屋 林賢

りんけんバンドは「地球の音楽」

おいしいものがあれば食べてみたい、面白いエンターテイメントがあれば見てみたいと誰でも思うでしょう。僕らはそれを作っていて、誰かが見て面白かったと言ってくれればいいんです。それが本土じゃなくても、台湾の人でも中国の人でもニューヨーカーでもいい。時々「何故沖縄の音楽をやっているんですか?」と聞かれることがあるのですが、答えは簡単です。僕は沖縄に生まれたから沖縄音楽をしています。ニューヨークで生まれたらニューヨークの音楽をやっていたはずです。
本来は日本人でも、アメリカ人でも、イギリス人、フランス人、東南アジア人、アフリカ人、南米の人たちも自分たちの文化を持っています。地球規模で物事を考えるとどこに住んでいても地球人なんです。一つの惑星に住んでいるので、りんけんバンドでやっている音楽は沖縄音楽という前に“地球の音楽”だと思っています。

沖縄でも夢は達成できる

若いミュージシャンは東京にあこがれてしまいますが、僕は沖縄でも音楽活動はできると提案しています。
沖縄では沖縄だけのマーケットが存在しています。だから沖縄でも夢は達成できるんです。そのマーケットはインターネットなどを使えば県外に広げていけるんです。
今までは東京に持って行って東京から全国に発信していたものを、沖縄に来ている観光客に持って帰ってもらう。そして「良かったね」と言ってもらう。そこから口コミで広まれば「私も(沖縄に)行ってみたい」と思う人が出てくるはずです。そうすると沖縄で生の音楽に触れてもらえますよね。

沖縄観光のこれから

沖縄の観光はこれからも伸びると思っています。
単なる観光を目指さず、ビジネスと癒しと観光を混ぜ合わせた知的な場所として発展させたいですね。例えば沖縄で小説を書くとか絵を描くとか彫刻をするとか。ビジネスでは企画書を温めるとか、アジアに近い立地を活かせる仕事をするとか。考えればたくさんのアイディアが出てきますね。
それに海がきれいであれば観光客は増えるでしょう。海は財産。この財産をいかに守るか、みんなが自覚すれば観光客は増えると思います。

カフーリゾートフチャクを含め、良いホテルがどんどんできています。あとは観光客をどうもてなすかですね。

照屋林賢

PROFILE

照屋 林賢 (てるや りんけん)

1949年10月5日、沖縄県コザ市生まれ。祖父・林山と父・林助はともに沖縄を代表する音楽家。実家が三線・レコード店という音楽に囲まれた環境に育つ。高校卒業後の1967年、西洋の音楽理論を勉強するために上京。1977年りんけんバンド結成、90年アルバムCD「ありがとう」で全国デビュー。93年日本レコード大賞特別賞受賞。自作詩曲「春でぇむん」が中学国語教科書に採用される。日本国内外で数多くのライブを行い、沖縄固有のリズムと言葉にこだわりながらも新しい発想を積極的に取り入れ、りんけんサウンドの創造を続けている。りんけんバンドのリーダーであり、全てのプロデュースを手懸けている。

次回予告

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